4回生達 投稿者:山口 修一郎 投稿日:2009/11/24(Tue) 21:59 No.181
4回生達
写真左から藤林 弦、古野 智也、後藤 隼人、 白和 広樹、 高橋 佑季、 井上 拓也です。全日本選手権決勝当日、名古屋フラーテルに惨敗した後のスナップなので表情が冴えませんが、立命館大学史上、59年の歴史の中で歴代最高の成績を残した4回生達です。
私と並んで写真を撮る事など、常日ごろ無い事なので、ああもうこれで最後なんだと思ったのか、それともあまりにも不甲斐ない内容の最終戦がよほどこたえたのか、この後大泣きしました。 毎年の事ですが、ようやく上手になって、チームに役立つ貴重な戦力になったかと思えば4回生になって卒業してしまいます。 せめて後1年いてくれたらと本当に思います。
藤林 弦は4回生になって初めて試合に出ました。1年上に澤田 弘基という傑出したGKがいて、いつもその影に隠れていたからです。 1年上級の澤田がすばらしい選手であっただけに、チームにはGKは上手くて当たり前というイメージが残っていて、春の間はすごく苦労したと思います。 失点した時に、あのシュートは澤田さんなら止めていたと言われ、チームから信頼されない孤独感をいやというほど感じていたと思います。 もがき苦しんでいた王座直前の三菱遠征の際に弦の苦悩がついに爆発し、あろう事か、弦のプレーについて注意をした私に反抗的な態度を取った事が一度だけありました。 日頃誰よりも温厚な弦がそこまで追い込まれていたのもよほどの事ですが、私はそれを見逃さず、4回生を呼び出して全員の前でつるし上げ、首にすると脅しました。4回生達は後藤を先頭に必死の抵抗を見せ、弦を坊主にして反省文を書かせ一週間の謹慎に収まりましたが、その後、立命館の快進撃が始まったのです。 王座の準決勝と、西日本学生選手権の決勝は弦のぺナストで勝ちました。 王座で優勝した後、弦のかーちゃんが挨拶に来られ、「この度はとんでもない事をしでかしまして。」と言われたので、「自分の息子だと思っているので坊主にしました。もっともっといい男にしてお母さんにお返ししますよ。」と言うと大泣きされたのを覚えています。
古野 智也は愛知産業大学工業高等学校から初めて立命館大学に入学してきた選手です。高校3年生時の全日本ユースの選考会に於て、100人を超える参加者の中でフィジカルテストではダントツ1位の成績を収め、その類稀な素質から私にはダイヤモンドの原石に見えたのを良く覚えています。 恩師の鈴木先生は本当にすばらしい先生で古野の成長を4年間見守って頂き、3回生時の全日本選手権に於いて優勝した試合に古野が出場した際にはわざわざ天理まで見に来て頂き、「あいつが出てきた時には身が震えるほど感激しました。」と言っていただきました。
後藤 隼人は宮城県築館高等学校時代から全日本ユースに抜擢され注目されてきた逸材です。立命館大学では3回生時に一気にその才能を開花し、表舞台に飛び出しました。玄人受けする選手で、アイクマン監督がどうしても代表にほしいと言い、立命館大学に在籍する3名の日本代表選手を押さえ、立命館大学からただ一人日本リーグのベスト11に選出されている事からもその値打ちがわかります。 井上、高橋と共に立命館の最終ラインを支え、今期6冠の原動力になった陰のMVPです。 3年前に立命館に臨時コーチとして来てくれていた浅井研司がいち早く、当時1年生であった彼の才能を見出し「パキスタン」とニックネームを付けて重用を迫った事をつい昨日の事のように思い出します。
白和 広樹は鹿児島県樋脇高校の出身です。高校時代より小国の穴井、樋脇の白和と並び評された逸材です。高校生の時から「日本一になりたい」と明言し、立命館に進学しました。3回生時に全日本選手権を獲り、名実共に日本一になると、4回生では6冠を制し、1年間の得点のほとんどを一人で量産しました。 2009日本リーグの得点王に輝き、西日本インカレのMVPに選出されました。 爆発的なスピードは他の追随を許さず、見るものを魅了します。オランダ遠征の最終戦のロッテルダム戦では世界列強のDFを持ち前のスピードでぶっちぎり、プロのコーチ陣を唖然とさせました。薩摩隼人を地でいく男前で、彼のファンはダースを超えるのに、一切、浮いたうわさは聞きませんでしたが、インカレで優勝した後で可愛い彼女とのツーショットを目撃し、やっとその理由がわかりました。首から優勝メダルをかけ、嬉しそうにツーショットに収まった晴れやかな笑顔を見ると、彼が高校生の時に「必ず日本一にしてやるから、立命館に来い」と無理やり勧誘して良かったなあとしみじみ思いました。
高橋 佑季は弦と同じ立命館高校の出身です。 高校時代より弦と二人三脚で、大学に入った後も二人で随分苦労したと思います。三回生の時にU21の日本代表に選出されてジュニアワールドカップ予選を勝ち抜き、自信をつけました。高校時代から彼を知る宮野会長を始めとする立命館の関係者の方々から、「高橋君は見違える程上手になったね」と言われる度にどれほど喜んだか知れません。立命館の戦術の一つに「たかS」、「たかセン」と名付けたサインプレーがありますが、それは実は高橋佑季のチーム内の呼称「たか」からきています。私を含めてチームの誰しもが彼の事を「T」と呼ぶので誰も気づきませんが、それほど彼の愛称「Tボーン」は全国的に有名で、存在感のあるムードメーカーであった事を示しています。
最後は立命館大学第59代主将 井上 拓哉です。 ホッケーの名門岐阜総合学園高校の主将として高校時代から名声を馳せ、大学1年生時から4回生時にはキャップテンと太鼓判を押された選手でした。 全日本大学王座決定戦のMVPに輝き、チームを纏めて今期6冠に導きました。 過去59年間の歴史の中で最高の成績を収めた主将に相応しく、チーム結成当初から、全タイトルを狙うと公言し、学生タイトルを総なめにし、京都成年男子国体チームとしても、21年ぶりの優勝を果たしました。 今年のチームがこれほどの成績を残す事を誰も予想しない中で、見事にチームを編成し、結果を残してキャップテンシーの高さを証明しました。振り返れば、2009年度の立命館はやはり井上 拓哉の年であったのだと実感しています。
Re: 4回生達 - 007 2009/11/25(Wed) 14:20 No.182 4回生のみんな、本当にお疲れ様。君たちの頑張りは常に拝見させて頂いておりました。そして山口監督のこのコメント、拝読していて涙が止まりませんでした。私自身も若いころからホッケーに関わっていて君たちのような素直で一生懸命な選手と、山口監督のような選手たちを本当の息子たちのように想い、指導のできる監督が集結したとき成績だけではない本当に人生においてかけがえのないものが生まれるのだと感じさせてもらいました。最後の全日本は悔しかったけれども、君たちはかけがえのないものを残してくれました。その精神が下級生にもきっと通じ来年は更に飛躍してくれることを期待しています。それができるチームであると思います。残りの大学生活も立命館ホッケー部としてしっかりと過ごしてください。感動をありがとう。
Re: 4回生達 - 立命館ホッケー部ファン 2009/12/02(Wed) 19:23 No.203 立命館のホッケー部とは何も関係がありませんがいつも山口監督のコメントを拝見していてホッケー部のファンになってしまいました。これからも活躍を期待しています。
Re: 4回生達 - 一OG 2009/12/11(Fri) 18:01 No.232 2009年度、お疲れさまでした。本当に素晴らしい活躍だったと思います。 新聞などで立命館大学ホッケー部の活躍を多く目にすることができ、卒業生として嬉しくまた誇りに思います。
後輩たちのがんばっている姿を見ると、私も頑張らないといけないなと励まされます。 また試合の度に誰よりも大きな声で選手を鼓舞し、声を枯らして指示を出す山口監督の一生懸命な姿には、いつも感動しております(感動というか何というか、この思いを表現する適切な言葉が思いつきませんが、本当に素晴らしいと思います)。 選手一人ひとりと真剣に向き合い、愛情と責任を持って指導をするというのは容易ではないと思いますが、山口監督はそれを実践しておられると思います。このページへのコメントからも、その思いが伝わってきます。 選手たちには、感謝の気持ちを忘れずにこれからも頑張ってもらいたいと思います。
女子部の活躍にも期待しつつ、応援しています。 来シーズンも楽しみにしています。
|