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マスターズホッケーワールドカップで日本代表に選ばれた経営者 投稿者:宮村正之 投稿日:2024/06/02(Sun) 13:44 No.17061
京都新聞 2024年(令和6年)5月27日 月曜日 地域 山城版 掲載

巧みなスティックさばきでボールを操り、相手ゴールめがけて強烈なシュートを放つー。半世紀にわたってホッケーと親しみ、2022年に60歳以上のマスターズワールドカップ(W杯)へ日本代表として出場した。

ポジションは中学時代から変わらず、攻撃の要となるフォワードだ。「ディフェンスのマークをどう外すか。駆け引きの中、点を決めた瞬間が一番楽しい」とほほ笑む。

 中学、高校、大学と立命館のホッケー部で主将を務めた。「(中高大の垣根を越え)先輩が後輩に教える風土があり、フレンドリーなクラブでした」。競技に打ち込み、1979年のインターハイでベスト4に。

冷戦下の政治圧力でボイコットが相次いだ80年のモスクワ五輪では、プレ大会の日本代表に選ばれた。

 卒業後は、京都市の分析機器メーカーに勤務。社会人の京都選抜チームに入り、88年に国民体育大会で全国優勝を果たした。

会社ではシステムエンジニアとして自動車排ガスの分析装設計。仕事にも情熱を注いだ。

 33歳で独立し、機械の設計会社「二コーエンジニアリング」 (久御山町市田)を創業。近畿圈を中心に企業や大学と取引し、自動化装置や実験装置を提供している。

 一方、ホッケーの現役は同年引退。「経営に必死でした」。設計だけでなく、営業、製造、据え付け、メンテナンスと幅広く携わり、仕事に追われる日々が続いた。

 転機は43歳の時に訪れた。国内のマスターズ大会出場を誘われ、再びスティックを握った。15年ほど前に母校のOBらと、マスターズのチームを結成。大会前は毎週、練習に励む。「現役時代は勝利第一だったが、今は仲間と親睦を深めたり、人生の彩りです」

60歳を超えてW杯に出場。「『君が代』を歌った時、鳥肌が立った」。結果はベスト4.「インターハイも4位で、メダルを逃した。次は取りたい」。2026年大会を見据え、ウォーキングで体力維持に励む。

 ホッケーとともに歩んできた人生。「家族の支えと、立命館の先輩方が築いた歴史の上に自分がある」。現在は父の介護に集中しているが、今後は子ども向けのホッケー教室などで貢献したいと語る。久御山町市田。

マスターズホッケーワールドカップで日本代表に選ばれた経営者

さわだ  まさひろ
澤田 昌宏さん(62)

ホッケーのスティックを持つ澤田さん。普段は奥の
パソコンで機械設計の仕事を手がけている(久御山町
市田・二コーエンジニアリング)


国内のマスターズ大会でプレーする深田さん(右)=
2023年10月、東京都、澤田さん提供


添付:17061.jpg (2295KB)

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